クラシック肩のこらないウラ話


大体次のような内容で始めようと思っています。
皆さんからこんなことを知りたいと いうご提案を募集します
どうぞよろしく。

A. 作品番号の不思議
B. 自殺した作曲家と殺人作曲家
C. 女性の作曲家はなぜ少ないか
C'. 女性の作曲家はなぜ少ないか「第二回」
C''. 女性の作曲家はなぜ少ないか「第三回」
C'''. 女性の作曲家はなぜ少ないか「第四回」
C''''. 女性の作曲家はなぜ少ないか「第五回」
D. カストラート(去勢男声ソプラノ)哀れ
E. 耳が聞こえない天才演奏家エヴェリン・グレニー
F. 作曲家たちの霊媒おばさんローズ・マリー 他

 


作品番号の不思議

1. 私と作品番号

私は無類の作品番号マニアである。とにかく、あらゆる作曲家の作品番号(以下op)が気になってしようがない。だから、ある年齢まで(多分今でも深層心理的には)op のない作曲家の作品は聴く気が起きなかった。もしディーリアスにopがあれば、間違いなく私の好きな作曲家のトップランクに入るのだが、op がない分やや落ちる。私の一番好きな作曲家はディーリアスと親交のあったノルウェイの作曲家 シンディングである。私の知るかぎり、シンディングの op の最後は129でSym No4「冬から春へ」だ。残念ながらまだ聴いたことはない。私が中学時代から作り始めた、あらゆる作曲家の作品リストは膨大なもので、今せっせとエクセルに表作りしているが、絶対に完成するはずはない。今のうちに誰かに引き継いでもらうことを考えておかないと無駄な結果になるかも知れない。うちが貧乏だったので、GROVEの音楽辞典など買えるはずもなく、芸大付属高校受験の際に上京したとき、銀座のヤマハへ行ってはドキドキしながらいろんな作曲家のopを盗み書きしたものだった。そんなことをしてたから芸高には落ちたが 、決して反省はしていない。

しかし、世の中は広いものだ。私以上の op マニアがいるらしい。アメリカの Classical Net Homepage というサイトに掲載されている Onno van Rijen という人のホームページ(http://www.xs4all.nl/~nrv/ovar.html) のロシア現代作曲家の作品表を見て、ぶったまげた。なんと、ハチャトゥリアンやシュニトケの作品が op 順に並んでいるのだ。もちろんハチャトゥリアンにもシュニトケにも op はない 。まあ、疑問はすぐに解けた。彼は自分で op をつけてしまったのだ。それも実に念が入っている。自分でつけているop なのにハチャトゥリアンは op15 から始まっている。いかにもその前は不明だという装いなのだ。よくやるわあとしばし茫然 ......。

ところで、ほとんどの人はそれほどopに気をつけてはいないだろうから、おそらくopは作曲家が作曲順に付けていったんだろうくらいにしか思われていないだろう 。もちろん、そういう面もないわけではない。特に最近の作曲家はopが好きなよ うで、この場合は間違いなく作曲の順になっているはずだ。しかし、よく考えて みれば、実に変な話である。音楽以外にも芸術創造の世界はたくさんある。だが 、作家、画家、彫刻家、建築家、どれをとってみても、作品番号なんて皆無であ る。まあ、版画の場合には、刷り番号というものはあるが、もちろんopではない 。むしろ、作曲家のように、自分の作品に番号を付けるという行為が異常なので あって、実に変な話である。私みたいに他人のopには拘りを持つ人間でも、自分の作曲には番号を付けてはいない。そんな、立派な番号を付けるようなマットー な曲なんてないし、また無理矢理付けても、20そこそこがいいところだろう。もっとも、1500余りもCM音楽を書いているし、TVドラマ、映画等すべてに番号を付ければ、完全に2000は越えるのだけれど......。 いまでこそ、作曲家は自分でopを付けているが、昔はそうではなかったのだ。他人、つまり、音楽出版社が認めて出版した作品に限ってopがついたのであって、そのことはつまりその作品が売れた証拠であり、認知された結果なのである。おそれおおくも、出版社が認めないものに自分で番号を付けるようなセンエツな行為 は作曲家にはできなかったのである。 ではここで、作品番号の歴史を振り返って見よう。


2. 作品番号の歴史

Opusとはラテン語で「作品」という意味であり、イタリア語のOperaと全く同じ言葉である。これからわかる通り、昔は音楽上の「作品」は「歌劇」でしかなかったのであり、器楽作品しか書かない人は、作曲家扱いはされなかったのである。ひたすら王侯貴族に仕えて毎日BG音楽を供用する奴隷でしかなかったのだ。その内、段々と器楽作曲家の地位も上り、楽譜の出版も行なわれるようになって、出版社がある作曲家の作品を出版するとき、これは作品として認めたぞ、この曲は、この器楽作曲家のOPERAであるぞ、但し、器楽作品であるから、OPUSというラテン語を使うぞ、ということの証明番号なのである。

私は世界最初の作品番号というのは知らないが、バッハ時代の少し前位だろうと思っている。ヘンデルにもOPUSがついている作品があるが、完全に器楽作品だけであり、しかも当時は20分くらいのソナタを6曲とか12曲まとめて番号をつけているが、このこと自体が、OPERA上演時間と共通性をもっているのである。OPUSとはもともとOPERAと同義語だから、原則としてOPERAの作曲家にはOPUSがない。近年までこの原則は守られており、ドニゼッティ、ベルリーニ、ヴェルディ、プッチーニ等のOPERA作家にはOPUSがないのは当然のことなのである。近代音楽の元祖はイタリアであり、バロック時代の器楽作曲家にはみんなOpがついている。いつごろから一曲ごとにOpがつけられるようになったのかは定かではないが、多分、ベートーベンの中期以後のことではないだろうか。ちなみに、ベートーベンのOp1は3曲のPf Trioである。

バロック時代の作曲家のOpは多くても10そこそこであるが、一曲ずつつけかかった時代の作曲家のOpは大混乱を呈している。ボッケリーニは約50位のNoがあるが、一曲一つだったり、12曲まとまっていたりで、わけがわからないし、Opのついていない曲のほうが多いから、いまでは全く無意味になっている。ヴィオッティは29曲のヴァイオリン協奏曲を書いているが、どれにもOpのついている節はないが、室内楽曲のFL Quarにはop22というNoがついているが、前後は全くわからない、しかも同じ曲が別の所で別のNoで出版されているから、ここからわかることは、ヴィオッティはうまく出版社をだましたということである。というのも、つい最近まで器楽作曲家の場合、権利は出版社に買い取りというのが、当たり前だったからである。

だから、Opというのは、いろんな出版社がこの作曲家のOp**は自分のものであるという権利表明Noだったのである。本来のOpはこういう状況だから、出版もされない曲に作曲家自身がNoを振るなどということは絶無だった。そのなによりの証拠に、シューベルトにOpがついているのは歌曲と室内楽だけで、交響曲にはついていない。ということは、シューベルトは歌曲もしくはサロン室内楽の作曲家としてしか出版社から認識されていなかったということである。また、メンデルスゾーンやシューマン、ショパンのOpは、ほとんど作曲順ではなく、出版順である。モーツァルトにも実はOpがあった形跡はあるが、詳しいことは全くわからない。ベートーベンの前後には、Opが100を越える作曲家も増えてきたが、先に述べたように、3曲とか6曲とかのまとまりが多いから、昔の作曲家は実に働き者であったといえる。ライヒャとかフンメルなどはその代表だろう。


3. 作品番号花盛り

ベートーベン以前の作曲家は交響曲をたくさん書いている(ハイドンのNoは104、モーツァルトは全部で60近くあるか?)、作品番号の付け方もバラバラであまり意味がなかったが、なぜか不思議なことに、ベートーベンによって、交響曲は九つまで、Opは140前後までとの不文律が確立されたようである。一部の例外を除き、作品番号のある有名な作曲家の番号は大抵140台を越えていないし、シューベルトを除き、早死にの作曲家はみんな、140位で死んでいる。メンデルスゾーンは121だし、シューマンは147、ブラームスは122、ドボルザークは115、フォーレは121、レーガーは145、シベリウスは116、その伝統は現代にも引き継がれ、プロコフィエフは138、ショスタコヴィッチは147である。

シューベルトは例外的に170を越えたが、それでも大半の曲にはNoがなく、今ではドイッチェ番号に変わってきた。サンサーンスは169まで行ったが、Opにあまり重要性を持たせなかったフランス人であり(彼のオペラ「サムソンとデリラ」には、Opがついている。もちろん、ベートーベンの「フィデリオ」にもOpがついているが、あれはOperaというよりも器楽曲に近いだろう)長生きのせいでもあ る。それにしても、サンサーンスの場合にもOp100以後の作品はあまり演奏されていない。

ところでOpは150を越えてしまうと作曲家としても有名でなくなってしまうようだ。生きている時代にはベートーベンよりも有名だったシュポーアは153まで行っている。ヒンデミットはOpが50に到達したとたんOpをつけるのをやめてしまったが、ひょっとしたらこのまま付け続けるとすぐに200を越えそうだと感じたからかも知れない。

ヨハン・シュトラウスを始めとするダンス系の作曲家のOpは往々にして500を越えるが、純クラシック系の作曲家で200近くまでもしくは200を越えている人はそれほど多くない。スタンフォード193、ラインベルガー196、ラフが214、ライネッケ287、ケックランは216以上。こんな中で燦然と輝いているのはあのピアノ練習曲でおなじみのチェルニーである。彼は私の知るかぎり861までわかっている。

812 Offertory (Chor)
816 Quators concertants (4Pf) No2
821 Les Heures du matin (160)
845 12 Grandes etudes de agilite et perfectionnement
848 32 New Daily Studies, for small hands
849 ツェルニー30番
856 Der Pianist im klassischen Style (48Pre&Fug)
860 オベロン・パラフレーズ
861 Nouvelle ecole de la main gauche

彼は何も練習曲ばかり書いたわけではない。彼が一番たくさん書いたのは、当時流行ったオペラのピアノ用パラフレーズである。レコードのない時代の記録者としては貴重な仕事をしていたのだが、彼は女性恐怖症で、それから逃れるために仕事に没頭したと言われている。

時代は変わり、現代になると、数字の迷信は消えたのか、200を越える有名な作曲家は多い。クシェネークは240以上、カステルヌオーヴォ・テデスコは210、ホヴァネスは377まで確認しているので、今はミヨー並に400を越えているだろうし、そのミヨーは427まで確認している。前にも書いたが上には上がいるもので、デンマークのニールス・ヴィゴ・ベンツォンは550を越えている。現代の作曲家も結構働き者なのである。


4、謎の作品番号

シューマンの評論集の中でも、<リストの作品番号は大混乱している>と書かれているように、出版社の目安であったopは段々とその意味を失ってゆき、19世紀後半には、opのない作曲家が多数を占めた。しかし、最近の作曲家はまたopを自分で付けるようになってきており、一時の現代作曲家のほとんどはopがなかったが、BIELEFERDERを見ていても、最近の若い作曲家の半分以上はopを付けているようである。

ここで、私自身いまだに分からなくてイライラしている変な作品番号のいくつかを紹介して、この話の終わりにしたい。

以下の謎を解き明かさぬまま死にたくはないので、どんな小さな情報でも結構ですから何かお分かりの方はぜひ、情報を下さい。

1.Haydnのopについて Haydnの場合、ST Quarとわずかな室内楽にとびとびの番号しか判明しておらず、詳細を知るにはどうしたらよいのだろう。(偽作とされているVc Conにはちゃんとopがついているのに)

2.Bizet ビゼーにも少数のopがある。Patrie,op19 Jeux d'enfants,op22だけは分かっている。最近のBIELEFERDERによると<アルルの女>をop23としているが、半信半疑である。

3.Albeniz アルベニスの場合、Suite Espanola No2,op232以上のNoはあるんだろうか?また、op232までの曲でも

op 
12        Pavana-Capricio
23        Barcarola
28        Pf  Sonata  No1
40        Deseo,Concert Etude
47        Suite Espanola  No1
54        Suite Antigua
64        Suite Antigua  No2
66        Rapsodia Cubana
68        Pf  Sonata  No3
70        Rhapsodie  Espanola
71        Recuerdos  de  Viaje
72        Pf  Sonata  No4
78        Pf  Con  No1
82        Pf  Sonata  No5
92        Piezas  caracteristicas
95        Amalia
96        Ricordatti
101      四季
164      Spanish National  Songs
165      Espana
170      L'automne,Pf,Waltzer
181      Serenata  Espagnola
201      組曲<夢>
202      Mallorca
232      Suite Espanola  No2

これ以外は全く分かっていない。
4、Debussy ドビュッシーの場合、St Quar、一曲のみにop10がついているが(Eulenburgのポケットスアにも明記されている)、前後が全く不明。

5、Glazunov グラズノフのop109は、Sax ConとSax Quarと2曲についているが、どちらが本当か?

6、Janacek ヤナーチェクの代表作<シンフォニエッタ>は、 BIELEFERDERによるとop60がついている。これまでop3の弦楽組曲しか知らなかったので、びっくり仰天している。

7、Lehar レハールも<金と銀>op79,Hungarian Fantasy op45、Jetztgeht's los(Marsch)op17以外が全く分からない。

8、BIELEFERDERによるとRichard Maux(1893~1971)という作曲家に交響詩<Die Urbek annte von der Seine>op791というのがあったが、一体どういう作曲家なのだろう。

9、Offenbach オッフェンバックにもopがあることは知っていたが、以下のもの以外はわかっていない。

op  
24     Musette
28     Danse Bohemienne
29     Vc Piece
54     Duet,2Vc  E
76     Der Abend,Vc,Pf

10、Parry
イギリスの作曲家パリーも不可解である。以下のもの以外はわかっていない。

21  The Tempest
188 Fantasy und Fugen
208 Jerusalem

11.Villa=Lobos
まさかヴィラ・ロボスにまでopがあるとは夢にも思わなかった。

14  Sonhar
20  Preludio
49  Capricho
50  Berceus
66  Vc Sonata No2
ヴィラ・ロボスは1915年くらいからあとにはopがない。本当はあったとしたら、ゆうに500は越えているだろう。なぜなら、ブラジル風バッハ等の代表作はみな、1915年以降の作品だからである。



     女性の作曲家が少ないのはなぜか

 イントロ. <その原因>

   原因ははっきりしている。一にも二にも教育だ。私が芸大時代にも作曲科専攻の女 性は何人かいたが、<女は作曲家には向いていない>という漠然とした噂がなかば公 然と流布しており、女性側もやっぱりそうかもしれないというような、最初から敗北 的な姿勢も見えていた。第一、どんなにすぐれた才能があっても、社会が<女の作曲 家>を認めないものだから、クラシック系の作曲家の仕事場、つまり、映画や演劇、 テレビドラマ等の仕事も、なんとなく変な下心なしには、成り立たないような雰囲気 すらあったような気がする。

 しかし、女性が音楽に向いていないのかということになると、楽器演奏に関しては 全く逆転していた。私(昭和18年生まれ)の世代でも、ヴァイオリンを習うのは圧倒 的に女の子であり、またもくもくと真面目にさらうのは女子の特徴だから、たいてい 、女の子の方が圧倒的にうまく、そういう意味では私は体をはった男女同権論者であ る。でも、クラシックの歴史をひもとくと、やはり、女性の作曲家は圧倒的に少なく 、しかも今でもよく演奏される作品を残している人は皆無に近い。その現象を見て、 やはり<女には創造力が欠如しているのだ>というエセ神話が横行したのは否めない。

 私なりの一つの意見を述べさせてもらうならば、多分女性の方が、美に対する感受 性が強く、それは、新たなものを創るよりは、観賞したり、演奏、という再現性の方 により強く才能が発揮されるのかも知れない。

 それはともかく、下世話な話になるが、今でも、東京に集中している音楽大学に通 っている女子の大半は、楽器のお稽古事の延長に過ぎないのも事実だ。今はどうだか わからないが、武蔵野音大のピアノ科卒業の女子は、財界の御曹司のお見合い相手だ という話が当たり前のように言われていた。

<うちの娘はなんの取柄もありませんが、ショパンやリストのまね事なら多少は>と いう<売り>が今でも通用しているはずだし、ハープ、ヴァイオリン、フルートでも 同様だろう。しかし特技が作曲だったらどうだろう。<うちの娘は作曲が得意でざま して、ジョン・ケージの後継者を目指しているんざますの>なんていったら、お見合 いの相手は裸足で逃げ出すだろう。

 ところで、最近は非常にピッチ早く、女性の作曲への進出が目につくようになった 。私が所属している日本作曲家協議会(JFC.理事長、黛敏郎氏)の会員は500人を少 し越えているが、女性はすでに100を越えている。もっともポピュラー系ではユーミ ンをはじめ、稼ぎでも男を圧倒的になぎたおしているひとたちはもう普通の存在に成 っている。

 そんな風潮の中で、今年の7月、<創造する女性>をテーマにマラソンコンサート が開かれた。私は残念ながら行けなかったが、参加者は錚々たるメンバーで、13日は 三宅榛名氏、14日にはなんと、ブンチン・ラム(香港、アメリカ)、増本伎共子、タ ニア・レオン(キューバ・アメリカ)、グバイドゥーリナ(ロシア/ドイツ)、塩見 允技子、エレーナ・フィルソヴァ(ロシア/イギリス)、藤家渓子、バーバラ・コル ブ(アメリカ)、ベッツィ・ジョラス(フランス)という豪華なコンサートが企画さ れ、大成功だったそうだ。私はタニア・レオンとグバイドゥーリナのCDしか持ってい ないので、本当に行きたかったのに、残念で心残りである。

 それはさておき、クラシック音楽の歴史に登場した数少ない作曲家をほりおこし、 私の知るかぎりで紹介してみよう。(ここで失礼、次回をお待ち下さい)


      女性の作曲家が少ないのはなぜか 第二回

  歴代の女性作曲家の紹介

 まず最初にお断りしておく。私は女性大好きではあるが、別に女性作曲家マニアで もストーカーでもない。従って、なんだ、こんな作曲家も知らないのかというほど、 情報が偏っている可能性もあり、また、間違った認識もあるかも知れない。そのとき にはどうぞお叱りを含めて、情報を寄せて下さい。また、現在の日本女性作曲家も割 愛します。理由は言うまでもないでしょう。

1.ヒルデガルド・フォン・ビンゲン(1098~1179)

 古楽の復興及びヒーリング・ミュージックブームにのって忽然とあらわれ、神様の ようにあがめら  れているドイツの謎の尼僧。「古楽への招待」(立風書房)とい う本の記事からの簡単な紹介では、”ライン河畔ルーベルツブルクの女子修道院長で 、政治と外交に手腕をふるい、神秘家、幻視者、預言者、治癒者としても知られた。 宗教書や詩とともに旋律を残したので、西欧史上初の「女性作曲家」とされることも ある”ということであるが、私は実はこの降って湧いたようなビンゲンの存在はほと んど信じていない。大体が古楽の復興者たちは、パニアグアをはじめ、怪しげな人も 多く、やたらとアノニマス(作者不詳)の曲をやる。私はこのアノニマスのほとんど は彼らのオリジナルではないかと思っているし、ビンゲンもどちらかといえばデッチ あげられた存在ではないかと疑っている。

2.マリア・アガータ・シマノフスカ(1789~1831)

 時代は一気に前期ロマン派に飛ぶ。モーツァルトのお姉さんのナンネルをはじめ、 作曲を残した女性は数限りないだろうが、私には調べようもなく、また調べている暇 もないので、どなたかから情報を頂きたい。

 さて、シマノフスカヤは、初期のピアノ音楽時代に一世を風靡した美女のピアニス トで、シューマンも絶賛したといわれるピアノ曲も残している。千蔵八郎氏の著書「 19世紀のピアニストたち」(音楽之友社)から印象的な部分を引用しよう。

  ワルシャワの生まれで、地方的な先生に15年ほど習っただけの人だが、その演奏 力は評価されていたようである。

  よほどの美人だったらしく、惚れっぽいゲーテがぞっこんにまいって、手放しで 彼女の美しさを 称えて『情熱の三部作』を書き、フンメル以上のピアニストと 激賞した。だが、めったなことでは

 冷静さを失わないメンデルスゾーンは、ゲーテが彼女のそれほど美しくはない演奏 に耳を傾けず に、そのきれいな顔ばかり見ているから、その演奏まで上等 に見えたのだろうと、憎まれ口をたたいている。

 私は、彼女の曲はまだ一度も聴いたことがないが、ビーレフェルダーのカタログに よれば、数曲がCD化されている。Aulophon 31- 47である。

3.ファニイ・メンデルスゾーン(1805~1847)

 あのメンデルスゾーンのお姉さんで、大変な才能の持ち主だったといわれている。 メンデルスゾーンの生涯は、ほとんど姉に頼り切りの妙な関係で、そのなによりの証 拠に姉が死んだとたん、メンデルスゾーンは失意のあまり、病気を悪化させあえなく 姉の後を追っている。次ぎに紹介するクララ・シューマンの場合においても同じだが 、当時、女性が作曲家として自立するということは、まわりにとって耐えがたい、は したないことだったらしく、メンデルスゾーン自身、姉の歌曲の出版には猛反対し、 自分の名前で出版したといわれているが、不勉強な私は、それがどの曲かは知らない 。それでも彼女の名前で何曲かは出版されており、なかでも、ピアノトリオはなかな か上品な曲である。

 Vox-box廉価盤2枚組CDの女性作曲家による室内楽集に、クララをはじめ、いろんな 作品が収録されている。


      女性の作曲家が少ないのはなぜか 第三回

4.マリア・テレジア・フォン・パラディス(1759~1824)

 年代は前後するが、ここでパラディスを紹介しておこう。ヴァイオリンやチェロの アンコールピースとして人気のある「シシリアーノ」の作曲家である。私はもちろん 「シシリアーノ」は好きな曲のひとつだが、作曲家のパラディスについては、迂闊に も全く無頓着で詳しいことは知らなかった。そこへ、このシリーズを読んだ、私のク ラシック及びアナログ関係のマネージャーから、パラディスの指摘を受け、あわてて グローヴの音楽辞典を読んだところ、おおむね、以下のようなことが分かった。

 彼女の父は、ハプスブルグ王朝の高官で、だからVonが付いている。子供の時から 眼が悪く、そのハンディを克服してオルガンとピアノに長じ、各地を演奏旅行にまわった。モーツァ ルトのあるピアノ協奏曲は彼女のために書かれたとも言われているが、真偽のほどは 確かではないという。しかしモーツァルトとも親交を結んでいたのは確かなようだ。  たくさんの作品を残したらしいが、現在、BIELEFELDERのカタログをみても残念な がら<シシリアーノ>以外は載っていない。またこの曲にしても単独に小曲として書 かれたとは考えにくいので、もとは何かのソナタとか組曲の中の一曲だろうとは思う が、その原曲も定かではない。まあ、とにかく、わからないことだらけなので、もっ と詳しいことを知っている人は御一報頂きたい。

5.クララ・(ヴィーク)・シューマン(1819~1896)

 ここ数年、クララ・シューマンの諸作品の復活振りは驚くべきものがあり、日本版 でもクララのピアノ曲集が発刊されているほどである。  クララはもちろん、あのロベルト・シューマンの奥さんであり、ロベルトの死後は 、ブラームスのとともに心を支えあった女性でもある。  評伝の本も何冊かあるので興味のあるかたは眼を通してもらいたい。

 クララの父ヴィークは、シューマンとの結婚に強く反対した、わからずやの頑固親 父と言われているが、シューマンの家系に精神的な面での問題の人がおり、なおかつ 、極度に内向的で人前で普通にものをしゃべることのできない、神経質すぎて妄想癖 のある変な男に娘を嫁がせるわけにはいかないと考えるのはもっともなことだろう。  後年、チャイコフスキーがライプツィヒに演奏旅行をしたとき、当時のライプツィ ヒの楽壇の重鎮、ライネッケに厚遇され、食事をしながら、若いときのシューマンが 話題になった。チャイコフスキーの日記から少し引用しよう。

  シューマンはまったく憂鬱症で、この生まれ付きの憂愁の結果が、ヒポコンドリ アか、発狂かになることは、最初から予言されていたらしい。事実そう なったのだが。驚くべきほど無口で、彼にはいってみれば一語一語が非常な努 力を要するかのように見えた。シューマンの音楽的組織の中でとくに著しい ところは、指揮者としての力を全然欠いていたことで、ライネッケ氏はシューマンが  オーケストラの音楽のさまざまな音色をはっきり区別できなかったし、また指揮 者に必要かくべからざるリズムに対する自然な感じを、まったく欠いて いたのをあきらかにする実例を話した。作品の上から批判すると、リズ ムについてはとくに発明の才を持っていた音楽家に、こうした変則を認めるの はどんなに困難であろう!

 こんな話、にわかには信じがたいが、たぶんウソではないだろう。こんな変人シュ ーマンに嫁いだクララなくして、それ以後のシューマンの作品は無かったはずだから 、クララは歴史を創った女性の一人である。  シューマンは自分の評論家の態度として、大変に前衛的だった。そんな内向的な男 の、対社会には非常に戦闘的でありながら、クララに対しては旧弊な男の論理をふり かざし、女の作曲を認めず、クララの天才性をないがしろにし、7人も子供を産ませ 、自分は早々と、この世からおさらばしてしまった身勝手極まりない奴だとクララ側 からは見える。  クララとブラームスがどんな関係だったか......。精神病院に入ったシューマンが 自宅に帰ることを頑なに拒否したことと、クララがシューマンの入院している病院に 見舞いに行ったのはたったの一度と、多くの評伝に書かれていることから推察しても 結論は見えているともいえようが、7人の子供がすべて早死にし、血筋が絶えてしま ったクララは実に気の毒である。


6/3, 97 追加:
女性の作曲家はなぜ少ないか「第四回」

6.バッカー=グレンダール、アガテ. Backer=Groendar,Agathe(1847~1907)

 彼女はノルウェー人で、ほぼグリーグと同時代の人である。ノルウェーでチェルル フらに学んだあとドイツへ行き、ハンス・フオン・ビューローやリストにも学んだ。 北欧出身の女性ピアニスト、作曲家として有名になったが、今は、あまり演奏される こともない。

 私は彼女のピアノ作品のアルバムを一枚持っているが、グリーグから土臭さを抜い て、上品にしたような曲が多い。もう少し見直されてもいいかも知れない。

7.シャミナード・セシル  Chaminade,Cecil(1857~1994)仏人 

 ゴダールに学んで、ピアニスト・作曲家としてデビューしたシャミナードは現在、 なぜかフルートのための小協奏曲が、フルートの学生たちの練習曲としてよく演奏さ れている。

 最近は彼女の多くのピアノ曲がCD化されているので入手しやすくなった。いずれも 大した曲ではないが、サロン風な美しさ、可憐さには満ちあふれている。「ギターレ 」等の小品で親しまれているモシュコフスキーとは義兄弟の関係になる。

8.スミス・エセル Smyth,Ethel(1858~1944)英人

 彼女はどちらかといえば作曲家としてよりも「女権運動家」として有名かも知れな い。私が持っているCDのジャケットには、彼女が官憲に手錠をはめられ、連行される ショッキングな写真がのっている。

 彼女は1877年ライプチッヒ音学院に留学しており、そこで作曲家としてデビューし て話題をよんだ。この地をおとずれたチャイコフスキーは、その日記の中で、彼女と 会った印象を次のように書いている。少し長いが全文、引用してみよう。

  『この仲間にもう一人婦人がいたが、この人についても数言費したいと思う。クリス マスのお祝いが済んでから、われわれがブロドスキー家の食卓を囲んでお茶を飲んで いると、セッター種の綺麗な犬がとびこんで、主人や小さい甥にじゃれつきはじめた 。「すぐにスミス嬢が見えるということなのだ」と一同がいつた。すると数秒たつて 、美しくはないが、人々が「表情的」あるいは「知的」と呼ぶ顔つきの、背の高い英 国婦人がはいつてきた。私はすぐに同じ作曲家として彼女に紹介された。スミス嬢は 音楽のこの世界の働き手に真面目にかぞえられる、比較的少ない閨秀作曲家のひとり であつた。彼女は数年前にライプチッヒに来て、徹底的に理論と作曲とを学び、幾多 の興味ある作品を作曲し(もつともよい作はヴァイオリン奏鳴曲で、私はこの作品を 作曲家自身とブロドスキー氏とが、立派に演奏したのをきいた)、将来真摯また有能 な経歴を送るだろうと嘱望されていた。

 イギリスの婦人はみな独創的なところと偏屈なところをもたないでもないが、スミ ス嬢もそれをもつていた。この独身者の婦人から少しも離れず、この時ばかりでなく 二度目に会つた時にも、かならず彼女の到着を知らせる美しい犬と、狩猟が無性に好 きなこと−−それがためスミス嬢は度々イギリスへ帰つて行く−−と、最後にブラー ムスの漠たる音楽天才に対する理解のできない、ほとんど狂的な崇拝とがそれであつ た。彼女の見解によるとブラームスはあらゆる音楽の最高頂点に立つていて、ブラー ムス以前に行なわれたものは、ことごくこのハムブルグ生まれの大作曲家の創造のあ る絶対音楽美の典型に対する準備としてのみ役に立つのであつた。そしてこの時にも 、猛烈なブラームス派に出会つたときにいつもするように、私がこうした質問に私自 身を苦しめた。彼らは皆まちがつていて、ありもしないものを想像しているのではな かろうか。それとも私が神と自然とを怒らせたので、私にはビューローの予言した「 黙示」を与えて下さらないのであろうかと。』(柿沼太郎訳)

 これを読んでもわかるように、チャイコフスキーは同時代人のブラムスの音楽を 非常に嫌っていた。

 ところでスミスは、女性参政権運動のために「女の行進曲」を書いたりして、当局 と衝突していたが、後には男性の「サー」にあたる「デーム」を贈られている。

 私は彼女の作曲ではセレナーデとバイオリン・ホルンとオーケストラの為の協奏曲 しか知らないが、特に後者は、何ともいえない性格破縮者風にバランスの悪い曲で、 充分「変な曲」コーナーに入っても良さそうな曲である。しかし私が「変な曲」でとりあげているのは、少なくとも何回もきいてみたい曲であるのが前提なので、入れてはいない。


6/21, 97 追加:
女性の作曲家はなぜ少ないか「第五回」

 9.ビーチ、アミー  Beach,Amy (1867〜1944)米人

 アメリカの女流作曲家の草分けの人であるが、作曲は殆ど独学だったといわれてい る。最近はかなりCD化されているので、いろんな作品を聴けるようになった。堂々と した交響曲もあり、ピアノトリオも面白いが、何といってもピアノピースや歌曲が美 しい。

 10.ブーランジェ、ナディア  Boulanger,Nadia (1887〜1979)仏人

 ナディアは作曲家としてよりも先生としての評判が高かった人で、アメリカの現代 音楽のリーダー役だった、アーロン・コープランド(Macのシステム8の開発コード名 でもある)やヴァージル・トムソン等を教えたことで有名である。

 11.ブーランジェ、リリ   Boulanger,Lili (1893〜1918)

   ナディアの妹だが、24才で天逝したためか、姉よりも演奏される作品が多いように 思われる。

 12.タイユフェール、ジェルメーヌ Tailleferre,Germaine (1892〜1983)仏人

 誰が名づけたのか知らないが、フランスの6人組の一人として有名。しかし各人は6 人組と呼ばれることを嫌っていたといわれている。だが、タイユフェールはその為に 記憶されることもあり、得をしていると思われる。あまり演奏される曲もないが、ハ ープソナタは仲々いい曲である。

 13.バツェヴィチ、グラジナ Bacewicz,Grazyna (1909〜1969)ポーランド人

 彼女はポーランド楽壇を代表する作曲家として、世界中で注目された。非常に刺激 的でパーカッシブな曲が多い。私の好きな作曲家の一人でもある。

 14.グバイドゥーリナをはじめ、現存する女流作曲は多々活躍しているが、まだ、 評価も定まっておらず、別の機会に譲りたい。





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