音階と音程 その歴史と謎

(レッスンの友社「ストリング」2003年9月-2006年3月号連載)


9 グィードのドレミ唱法

●グィードについて

 グィードは「ドレミ唱法の創始者」としてはあまりにも有名な割に、人物像は正確には分らないのですが、グィード・ダレッツォといわれ、「アレッツォのグィード」という意味です。活躍した年代から類推して991?〜1033以後とされていますが、そもそもそんな人物はいなかったという極端な説もあります。そいう意味ではギリシャのピタゴラスとも似た伝説的な人といえましょう。でも、一応グィードが創始したといわれる「ドレミ唱法」はじめ、当時の15音だった音階を20にひろげ、今日のC-dur、F-dur、G-durの、後世の機能和声の萌芽となる音階構成を創った功績はめざましく、おそらく彼の時代に錚々たる音楽学者たちが集まって新体系を確立し、その大将として「グィード」の名前を推し出したのではないだろうかと思われます。
 話は変わりますが、「固定ド唱法」と「移動ド唱法」の確執は未だに深く、ネット上でも討論されていますが、それを読んでいて私が愕然としたのは、グィードが「ドレミ」を音名として確定したという誤解が蔓延しており、また、グィードの音階は「ド」から「ラ」までの6音音階(ヘクサコルド)でしかなく、「シ」は存在しなかったのに、その「シ」をあたかも最初から存在したかのような前提で論がなされているのは、容易ならぬ誤謬が蔓延していることの証拠でもあるでしょう。

●グィードのドレミ唱法
 かくいう私も、数ある音階の謎の中でも最大のものは、グィードのヘクサコルドでした。ヘクサコルドというのはギリシャ語で6音音階のことですが、グィードの時代よりずっと以前から、グレゴリオ旋法は7音でしたから、なぜわざわざ退行して1音減らしたのでしょうか。ここでみなさんに徹底しておきたいのは、グィードの6音音階です。つまり「ドレミ唱法」は6つの音しかありません。謎のすべての始まりなのですから、頭に叩き込んでおいてください。
 さて、グィードが創ったこの呼称では、絶対的な「ド」は「C」であったんでしょうか。また、各音の高さを決める為に「ドレミ」と名付けたのでしょうか。それは結果的に各音の高さのようになっただけであり、グィードの意図としては、そして当時受け入れられたのは、「ドレミファソラ」が、全音と半音の差を確実に身に付ける為のソルフェージュだったからなんです。グィードの「ドレミファソラ」がドレミの2つの全音と「ファソラ」の2つの全音をつなぐ「ミ」と「ファ」の間が半音であることの徹底で、これによって、どんな高さの「ド」から始まっても、「ミ」と「ファ」は半音であることを広めました。先月書いたように、今の音楽の先生がピアノの鍵盤を見せて「ミ」と「ファ」の間には黒鍵がないから半音だというのは全くナンセンスなのです。
 グィードによる「Ut Re Mi……」の創始は、当時有名だったパウルス・ディコヌス作曲の「ヨハネ讃歌」の詞の各行の始まりの音が【譜例1】のようだったので、そう呼ぶように提案し、広まりました。



 そして後に「Ut」はより発音し易いように「Do」になりました。大体、グィードの100年後位とされています。それに対し、今日のヘプサコルド(7音音階)の「Si」という名称が追加されたのはグィードから約600年も後です。単に600年といいますが、江戸時代全体よりももっと長いんですよ。それくらい「Si」というのは遅れてきた特異な存在であることを注意して頂きたいと思います。
 グィードが6音のヘクサコルドにこだわったのは、一種の退行現象だったんじゃないかと、私は長い間説明していましたが、もちろん、グィードの時代だって音楽は6音だけじゃなく、グィードが改革した音階は20音でした。でも、その根幹は6音でした。これはどういうことなのでしょうか。それは先月号の「♭」「記号2・脚注参照」「#」の話と密接に関連してきます。この3つの記号は全て、「べー」と発音され、今の「ドレミ唱法」でいうなら「シ」の所なのですが、このように「ラ」の上の「シ」にあたる音の高さは、「♭」と「記号2」の2つがあり、高さは決まっていませんでした。だからグィードはその「べー」には名称をつけなかったのです。しかし、その時代にも確実に「ラ」の上の音は存在しました。そこで重大な読み替え法を考案しました。これが、今現在にまで影響を及ぼしているソルミゼーションの移動「ド」の根源で、「♭」は「ファ」、「記号2」は「ミ」と読み替えたのです。その結果、「♭」を「ファ」と読み替えると、「ファ」の位置を「ド」と読み替えるF-dur、へ長調の元祖となり、「記号2」を「ミ」と読み替えると、今のG-dur、ト長調の元祖となったのです。
 グィードの「ドレミ唱法」を、固定「ド」の音名をつけたと誤解している人の多いことには驚かされます。グィードが言っているのは、今の「シ」と上の「シ」に挟まれた音程関係は不変であり、その関係性を「ドレミファソラ」という、と決めたものであり、「♭」「記号2」を読み替えることにより3種の「ドレミファソラ」が生まれるのです。今でいうC-dur、ハ長調の6音音階を「普通の音階」、F-dur、へ長調を「柔らかい音階」、G-dur、ト長調を「硬い音階」とも称したそうです。

●a、b、cという音名表記について
 現在、クラシック教育でのピアノや弦楽器は、固定「ド」で教育されますが、この善し悪しはともかく、もうひとつ、和音聴音の時には、「ドミソ」は「ツェーエーゲー」と言うようにドイツ音名で呼ぶよう教育されます。この音名というのは絶対的なものであり、「D」を「C」と読み替えることは絶対にありません。それならば、「ドレミファ」等と言わず、全てを絶対音名で発音すればよかったのにと思われるでしょうし、私もそう思います。しかし、この方法では、最初っからつまづきます。
 それは、「A」の次がどうしようもない問題の高さ「B」であり、どちらの高さとも決められない「♭」と「記号2」が同居しているので、音名の呼称としては役立たず、どちらかの高さの認識としてしか意味を持てなかったのです。もう少し先で述べますが、グィード以前の音階表は、理論上、【譜例2】のようになっていました。



 これは、ギリシャの完全音階の引き写しなのですが、ここで音名にアルファベットを与えました。この思い付き自体はよかったのですが、ボエティウス(ローマ時代の悲劇の学者)以来のケアレスミスで、ギリシャ音階は上から下への構造であったのを、下から上へと勘違いして、下からアルファベットを付けたため、「A」の次の「B」がどうしようもなくなったのです(【譜例3】)。



 ギリシャ時代のように、上から「ABC」と付けていれば不安定なのは「G」となったはずです。
 歴史なんてこんなケアレスミスの連続と堆積です。先月号の私の記事を呼んだある人が「アーア」と呆れてしまいました。印刷業者の手抜きで「h(ハー)」という名称が定着したなんて、あんなに苦労して覚えたのはなんだったんだろうと。その通り、先人たちの不合理が世に罷り通っているわけです。

●「♭」は「ファ」記号、「記号2」は「ミ」記号
 ところで2つある「B」は「ドレミ唱法」ではどう読まれたのか。それは、「♭」を「ファ」と呼ぶとF-dur系になり、「記号2」を「ミ」と呼ぶとG-dur系になると先ほど書きましたが、実際に単独にその音はどう呼ばれたのでしょうか。それは、どちらでもいいように、「べーファ、ベーミ」と呼ばれたそうです。このように音名読みと「ドレミ」読みが複合表記され、【譜例4】は、「G-sol-re-ut」と呼ばれました。



 この意味は、音名は「G」であり、音階構造上の音、つまり階名称ではF-dur系ではreであり、G-dur系ではutである、という意味で、実際、「ゲーソルレーウト」と呼ばれていたのです。
 では、【譜例5】はどうなのでしょう。



 この場合の「B」はどちらか分らないので2つの例になります(【譜例6】【譜例7】)。






 このように、当時のソルミゼーションは複雑怪奇なムタツィオ(英語ではミューテーション)という読み替えを駆使しないとならない難しい移調「ド」でした。こんな複雑怪奇さも今から見るとそう見えるだけで、それまでの音階上の音の関係を言い表すには、もっともっと複雑怪奇だったので、これでもグィードによる簡単化は音楽教育を促す上でも多大な功績を上げたのでした。グィード以前の音高の説明には物凄い数の言い方があったそうで、ギリシアのプラトンの頃は音符の数は1620を下らなかったそうです(テュルクのクラヴィーア教本による)。その典型的な例として、ギリシア音階の最高音はネーテ・ヒュペルボライオーンと呼ばれ、一番下はプロスランバノメノスと呼ばれていました(【譜例8】)。



 こんなもの覚えるなんてやってられませんね。
 ところでグィードはヘクサコルドにこだわったのはなぜでしょう。実はそれ以前の楽理はギリシャ音階を引きずったまま、テトラコルド(4音音階)の積み重ねですべてを説明しようとしていましたが、前にも述べたように、上から下へ移行する元の音階をそのままで下から読み替えた為に、とてもじゃないがテトラコルドで説明するのには無理がありすぎ、反対に「シ」に当る両端に挟まれた安定した6つの音階が、半音1つをはさんだ対照形であることに気付いたグィードは、ギリシャの影響を断ち切って、新しい説明法を創始したという所に独創性があったのです。この点は、グィードは最初の完全数6に着目したんだろうとグロケイオ(13C末の学者)の音楽論に書かれています。そして世の中は一挙に「ドレミ唱法」になったのですが、旧来のグレゴリオ聖歌は明らかにギリシャを変な風に引きずっている為、後世の長調の基になる「ドレミファソラ」に合致するメロディが殆どなく、それを教育するにあたっては、複雑怪奇なムタツィオ(読み替え)を強いられたということです(ザックスの『音楽の起源』より)。

 来月は、ギリシャの音階のことにも触れましょう。そこで「♭」と「記号2」の共存も説明します。

*******************
〈参考文献〉
◎東川清一『シャープとフラットのはなし――読譜法の今昔』音楽之友社、2800円
◎ザックス『音楽の起源』音楽之友社
〈記号〉
記号2





前ページ 次ページ

レッスンの友社「ストリング」2004年4月号掲載(レッスンの友社の承諾を得て掲載しています。)