音階と音程 その歴史と謎

(レッスンの友社「ストリング」2003年9月-2006年3月号連載)


8 長・短・音階の素性?

●音階の謎

 今月号からは音階に関する歴史と謎に挑戦します。単に「音階」と言えば、長音階と短音階で済ましてしまう方が大半ではないでしょうか。英語で言えば長音階は「メジャー」な音階で、「マイナー」なのは短音階となります。まるで長音階の方が圧倒的に「偉い」感じですが、世の中には短音階のメロディの方が多いのではないかと思われるし、古来、日本人は短音階的なメロディを好んできたようです。
 明治の時にいろんな音楽用語を和訳しつつ作った言葉が多数あり、理解に苦しむ造語が多過ぎて、特に私が主宰している「純正律音楽研究会」の「純正律」なんていう言葉も、何だかとっつきにくくイヤな訳です。英語で言うとただの"Just Intonation"なんですからね。そんな訳語の中でも世界に誇れる秀逸なものが「長音階」「短音階」でしょう。「メジャー」とか「マイナー」などという階級的な言葉ではなく、「長」は「長3度」であり、「短」は「短3度」のことなんですから。
 さて、私が音階というからには、もちろん「長音階」「短音階」を話題にするわけではありません。ただ、なぜ「長音階」、いわゆる「ドレミファソラシド」の並びが、西洋音楽の中で最高の音階となったんでしょうか。これが音階の歴史の中でも最大の謎だと思われるのですが、それに対する的確な説明は見たことがありません。
 一説には、「ドレミファ」という音階関係が「全音―全音―半音」の関係で、「ソ」からもキレイに同じになっている美しさが原因だ、等という説もあるようですが、それは後からのこじつけだとしか思えません。そういうことを解き明かすのがこの連載で、私は音律よりも音階の方を書きたかったのです。
 で、先ほどの「全―全―半」の2つの連結ですが、それなら「ドレミファ」で終ったものに「ファソラシ♭」と言う「全―全―半」をつなげてもいいのでは? という説も成り立ちます。実は、今の西洋音楽理論の礎となっているはずのギリシャ音階では、こういう直接の連結が正式に行なわれていました。ただし、ギリシャの音階は上から下へ下降する4度(テトラコルド)の連結で、オクターヴを構成するのに2つの方法を持っていました。直結型(コンジャンクト)と連結型(ディスジャンクト)です(【譜例1、2】)。






 「ドレミファ」で直結型の音階を作ると「ファソラシ」となり、この「シ」はフラット、いわゆる「♭」の形になります。このフラット記号の由来は一体何でしょうか?

●「♭」「ナチュラル(記号1・脚注参照)」「♯」記号の由来とは?

 昔、NHKで「シャープさん、フラットさん』という番組がありました。しかしそこではついぞ、その記号の由来は聞いたことがありません。物事には何でも始まりの原因があるはずですが、なぜか音楽用語に関しては、皆さん、そもそもの始まりを訊こうともしないし調べようともしない。この「♭」「ナチュラル(記号1)」「♯」の記号の由来にしてもそうだし、「ドレミ」はいつ誰がどのようにして決めたのか? とか、どうして「ド」は「A(日本語ではイ)」ではなく「C(日本語ではハ)」なの? とか、先生に訊いても、恐らく「そうなっているんだ」としか答えてくれないでしょう。つまり、先生もそのことを知らない人が多いのです。だから音楽理論は難し過ぎると敬遠する人も多い。とにかく幾何の定理だとか公理のように言われてただ覚えることだけを強制させられるからです。
 もう少し上級の質問としては、なぜ「ドレミ」唱法があるのに「a、b、c、d……」という音名があるのか。日本語ではもちろん「イロハニ」ですが。ハ長調(こういう時だけ日本語で言うのも変だ)のことを、なぜ「ド長調」と言わないのか、ドイツ語での音名「B」はなぜ半音低いのか? そして、「ドレミファ」の場合、「ド」と「レ」と「ミ」はそれぞれ全音だと言われるのに、どうして「ミ」と「ファ」は半音なのか? この質問に対し、先生は「ド」と「レ」、「レ」と「ミ」の間には黒鍵があるから全音であり、「ミ」と「ファ」の間には黒鍵がないから半音だと教えたりする。こんなの頭がまだ柔らかくて感じ易い子供には理解しがたいことでしょう。だったら、「ド」と「レ」の間の黒鍵を取っちゃったら半音になるの? などという疑問を持つ子供もいるでしょう。
 かく言う私もそうでした。ですから今でも、このような説明には納得がいきません。そして、もっと上級になれば、これはプロも含めてですが、「世の中、平均律になっているのに、なぜ未だに『C#』と『D♭』と言い換えをするのか、同じにしちゃえばいいじゃないか」と。モダンジャズの人たちは、周りに「♭」系の楽器が多いせいか、作・編曲とも臨時記号はすべて「♭」で書いてしまう人も多々いるのです。こういう人たちには、「C#」「D#」「F#」「G#」「A#」という音は存在しません(【譜例3】)。



 さて、最初の問題に戻り、「♭」「ナチュラル(記号1)」「♯」記号の由来は? と訊かれて、即座に分り易くスラスラと答えられる人がどれだけいるでしょうか。結論だけ先に言いましょう。今流行りのテレビ番組「トリビアの泉」風に言うならば、「『♭』『ナチュラル(記号1)』『♯』記号の由来は……、それはすべてアルファベットの小文字『b』である!」(へえ! へえ! へえ!……そんなあ……)。なんだか唖然とするような答えかもしれませんが、紛れもない事実です。「♭」「ナチュラル(記号1)」「♯」が使われ出した14世紀頃(これは、実はハッキリしません。11世紀から15世紀頃というのが事実に近いでしょう)は、このすべてはちゃんと音名としての認識がされており、「a」は「アー」、そして「c」は「ツェー」、「d」=「デー」、「e」=「エー」ですが、「b」に対しては3つの表記があり、「♭」「ナチュラル(記号1)」「♯」はすべて「べー」と発音されていました。
 デザイン的に言うと、「♭」は非常に小文字の「b」に似ているので納得は早いでしょう。では「ナチュラル(記号1)」ですが、この記号は昔は「(記号2・脚注参照)」という形で、今の「シ」に当る「B」の位置に、実は、フラットの「シ」とナチュラルの「シ」が同居しており、「♭」を「柔らかいB」とか「丸いB」と呼び、今の「シ」より半音低い音。一方、「(記号2)」は「硬いB」または「四角いB」と呼んで、半音高い「シ」でした。この「(記号2)」を後に半音高くする記号として使う時に「ナチュラル(記号1)」と図案化しました。そして、すべての音に通用する、半音高くする記号として「ナチュラル(記号1)」をもっとシャープにした形「#」が生まれたのです。モーツァルト時代に書かれた有名なテュルクの『クラヴィーア教本』の中でも、「#」は「格子に囲まれたB」と書かれています。
 「シ」に関する音名表記ですが、ドイツ語以外はすべて、「B」というと半音高い今の「シ」、ドイツ語でいう「H」です。ではなぜドイツ語の「B」だけ半音低いのか? それはドイツの印刷業者が昔、「(記号2)」という形の文字を作る煩わしさを避ける為に、「(記号2)」に似ているといえる「h」を当てたので、いつの間にか半音高い「シ」は「h」(ハー)という呼び方が定着してしまい、いまさら「B」を半音高い意味には戻せなかったんだろうと私は憶測しています。
 なお、「『H』は半音高くなった『シ』を表わす為に、『G』で終っている続きの『H』を使った」と言う説明は間違っていると思います。この辺りの事情は、東川清一氏の『シャープとフラットのはなし』(音楽之友社)に詳しく述べられています。ぜひ参考にしてください。
 話は戻り、もうひとつ素朴な疑問を考えてみましょう。それは「ド」から始まる長調の音階をなぜ「ド長調」と呼ばず「ハ長調」と言ったり、「ツェードゥアー」と言ったりするのかということです。これは実に根深い問題で、教育界でも頭の痛い「固定ド」と「移動ド」の問題に関係してきます。日本では、この問題に結論が出てないので「ド長調」とは言いませんが、実は、ドレミ唱法の発祥の地、ラテン系の国々では「ド長調」「ミ♭短調」と言います。ポップス系のコードネームの書き方も、シャンソン(【譜例4】)やタンゴ(【譜例5】)はこのようになり、「Sol#m7」と書きます。






 日本でもこういう風にしてしまった方が、話は分り易いのですが、このややこしい「固定ド」と「移動ド」の問題は別の号にゆずります。
 来月は、なぜ今の「シ」に当る所に2つの音の高さが同居していたのか、ということについて説明しようと思っています。

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〈記号〉
記号1 ナチュラル



記号2



〈参考文献〉
◎東川清一『シャープとフラットのはなし――読譜法の今昔』音楽之友社、2800円


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レッスンの友社「ストリング」2004年3月号掲載(レッスンの友社の承諾を得て掲載しています。)