|
|
音階と音程 その歴史と謎
(レッスンの友社「ストリング」2003年9月-2006年3月号連載)
7 絶対音感神話を斬る
●本題に入る前に
純正律、ピタゴラス音律、平均律の音程の取り方については、一応今回で中休みします。そこで少し補足を。
平均律は人工的な音律なので、ヴァイオリンには向きません。平均律のピアノには堂々とピタゴラス音律で演奏してください。さて、そのピタゴラス音律と純正律があたかも敵対するかのような書き方をしたのかな、と多少危惧しています。
純正律とピタゴラス音律は、実はとても近い関係にあります。違いはすべて3度をどう扱うか、ということだけです。「だけ」といっても、それがすごい違いを生むのですが、比喩的に言えば、協和を無視しても動きを重視するピタゴラスは男性的、協和を重んじて静的な美しさの純正律は女性的といえるでしょうか。2つの違いは楽譜に書くと【譜例1】になります。

見て下さい。オクターヴ内、7つの音のうち、「ド」「レ」「ファ」「ソ」の4つの音高は2つとも全く同じなのです。この「ド」「レ」「ファ」「ソ」の和音は、それなりに大変美しく、中国を中心とした雅楽は、このハーモニーを根幹にしています。しかし、長調の3和音にする時の真ん中の音、つまり「ミ」「ラ」「シ」が22セントずれるのです。この差が「黒の舟歌」のように、男と女の間にある〈川〉と同じなのです。
それから、純正律に拘った場合、平均律のピアノと全く相容れない「調」があります。それはF-dur(ヘ長調)、B(♭)-dur(変ロ長調)です。実はC-durもそうなのですが、FとB♭ほどは目立ちません。F-durとB(♭)-durの場合、【譜例2】のように、AとDを開放弦で、その下の長3度、FとB♭を純正3度で取ると、ピアノよりは明らかに高くなります。他の和音ならともかく、トニック(主和音)の基音のズレというのは、音楽として成り立ちません。この場合は、長3度を犠牲にしてもピアノと合わせなければなりません。ベートーヴェンの「スプリングソナタ」の冒頭のメロディの3度音Aは、従って、ピアノよりも高いピタゴラスでとる方が自然です。私はメロディに関する音律は詳しく書きますが、いろんな調律のことには敢えて触れません。ベートーヴェン時代に流行っていたといわれるキルンベルガー第3調律だと、すべてがうまく行くのですが、ここでは省略します。

●最相葉月の『絶対音感』について
「絶対音感」なる恐ろしい言葉は、ベストセラーになった同名の本によって「認知」されたかに見え、子供には早期教育で「絶対音感」を身に付けることがプロへの道だと錯覚した母親たちを焦らせる本も横行しています。私は最相さんの本が出る前に、その予告と内容紹介を週刊誌で読み、大変憤慨し、『音の後進国日本』という拙著の中で、まだ出版されていない『絶対音感』を批判するような勇み足を犯しました。しかし、世の中、本当に「絶対音感」なんてあるんでしょうか。
彼女はその本の中で、絶対音感に拘るあまり、もっと根源的な大問題、平均律教育の問題点をなおざりにし、看過してしまったため、私からみて非常に腹立たしい本になっています。彼女はおそらく、平均律と純正律の協和の差を体感していないのではないでしょうか。そしてもっと初歩的な間違いを冒しているのです。彼女はステロタイプの教育を批判しているものの、その根拠にあたる「絶対音感」の「絶対性」を疑ってはいないからです。そもそも「絶対音感」なんていう恐ろしいものがあるのでしょうか。ここで私はそんなエセ神話はこの世には存在しないし、単なる平均律音当てクイズの達人を「絶対音感」の持ち主だなどというのは、もっと耳のいい人をバカにしたものであるということを証明してみたいと思います。以下のたとえ話は一種の比喩的表現ですが、厳然たる事実でもあるので、よく考えて頂きたいと思います。
いまここに時速100キロの車に乗り、窓から外へ向かって440ヘルツの「A」の高さを吹くトランペット奏者がいたとします。もう1人、こちらは道端にたたずんでいる人がいて、両者とも「絶対音感」の持ち主だったとしたら、どういう現象がおこるでしょう。もちろんかの有名なドップラー現象がおこり、道端の人にとっては当然「A」の音は目の前を過ぎるとグーっと下がって聞こえます。一方、車のトランペット奏者には音程の変化がおこるわけはない。じゃあこの2人にとって「絶対」の「A」は何ヘルツだというのでしょうか。
ドップラー効果という理屈でそう聞こえるだけだというのはやめてください。現実に「A」の音は下がるのですから。これは、アインシュタインの「相対性理論」の入門書によく引用される話です。
さて最相さんは、大体442ヘルツの高さが固定ドの「ラ」と聞こえ、それを基準に音名が固定されてドレミと聞こえる人のことを「絶対音感」の持ち主と理解しているようで、またその音感は3〜4歳児のころに徹底的に訓練しなければ身に付かないかのように書いています。が、これはとんでもない誤解と誤謬に満ちています。自分のことで恐縮ですが、私はうちが貧しかったためピアノはなく、いっさい音感教育は受けていません。10歳からバイオリンを始め、ピアノはないまま、大阪の相愛音楽教室に入りましたが、即座にすべての音が分かり、天才的な絶対音感児といわれました。芸大のヴァイオリンを卒業して、作曲の道に進み、いろんな経験を積んだ現在、私は断言したい。「絶対音感」なんて絶対に存在しないと。
最相さんも書いていることですが、「A」の音は昔はもっと低かったのです。モーツァルトがいま生き返ったらすべてが半音高いと怒るでしょう。人は本能的に普通より少しだけ高い音を好むために、ピッチはどんどん高くなってきているのです。現在の442ヘルツ「絶対音感」者があと50年後の世界に行けば、半音下に拘る変人と言われることでしょう。
いわゆる「絶対音感」というのは、「固定ド」唱法でないと身につかないといわれ、私もうちにピアノがなかったのにもかかわらず、譜面は「固定ド」で読んでいました。かくいう私も、どんな曲でも「固定ド」で聞こえますが、これは一種の生活習慣病みたいなもので結構やっかいなところがあります。例えばオーケストレーションをする時、管楽器は移調楽器だからです。プロコフィエフ以来(?)すべてin Cで書く人も増えていますが、楽器の音域をすべてin Cにすると、かなり沢山の加線が必要になり、ミスも多くなります。オーケストラはそれでいいとしても、ジャズのフルバンドの場合、リズム隊とトロンボーン以外はすべて移調楽器で、特にアルトサックスやバリトンサックスはEs(E♭)管です。これらの楽器たち用に移調する時、かなり頭の中が混乱します。恐らく1900年以前の作曲家たちは「固定ド」の訓練なんかしていませんから、モーツァルトもベートーヴェンもマーラーも、すべて移調バリバリです。私はスコアリーディングには自信のある方ですが、それでもマーラーやR・シュトラウス、チャイコフスキーのように、移調楽器の多いスコアには今でも少なからず混乱します。こういうことから考えても、固定ド教育によって現代人は昔から比べてはるかに読譜力が下がっています。こういう「固定ド」問題は、次回からの「音階の歴史」の中で触れて行くことにします。
それはそれとして、私も最相さんと同じく音当てクイズのような教育には大反対ですが、実は彼女とは全く立場が違います。私は世の中のピアニスト及びピアノ教師たちのほとんどが知らないことを告発したいのです。それは「平均律」による音楽教育の弊害についてです。
日本の音楽教育の根幹はピアノでなされており、そこで使用される調律法「平均律」が絶対化されています。しかしどれほどの人がその危険性に気づいているのでしょうか。「平均律」とは本来、すべての音を平均的に狂わせてあると言う意味です。では何から狂わせているのか、ここに「純正律」が登場します。純正律のドミソは実にピュアで濁りのない美しい響きであり、ピアノのそれとは全く関係のない、天国的なものです。
日本人の最も恥ずべき間違いは、バッハの「平均律クラビア曲集」という訳名に何の疑問も持っていない人の多いことです。最近NHK-FMでも未だに、バッハが平均律のすばらしさを広めるために作曲したのだと解説していましたが、とんでもない間違いです。ドイツ語の原題を英訳してもそれは「ウェル・テンパード・クラビアピーシズ」であり、決して「イクォール・テンパード」ではありません。ウェル・テンパードとはよく整えられたという意味であり、いったいその調律法はなんだったのかというのがワクワクする問題点なのですが、バッハ時代にクラヴィアに対する平均律なんて調律はなかったのですから、多分、ヴェルクマイスター第三じゃないかという説が多いようです。
また日本人のもうひとつ恥ずべき犯罪的教育の間違いがあります。それは、コールユーブンゲンを平均律のピアノで教えることです。昔の信時潔氏の訳された序文をよく読んでください。そこにははっきりと原著者によって書かれています。「この教科書は平均律のピアノでやってはならない」と。
私はもちろん平均律の良さを否定はしません。ドビュッシーの理論をもとにしたモダンジャズは平均律でこそ生まれたジャンルです。また、ピアノやギター、ハープのように音が減衰する楽器ではそれほど狂いが目立ちません。しかし、ブラスや弦の合奏、そしてコーラスのように音が持続する音楽を平均律でやると破壊的になります。
このように、その世界は「絶対」ではないということをみなさんに知って頂きたいのです。ピアノによる音感教育はあくまで近似値による便宜的なものにすぎないということを。敢えて「絶対」ということを言うのなら、それはこの「ドミソ」は合っているか合っていないかを即座に判断し、どのパートをどうすれば協和するかという微細なピッチの差を体感できることだと言えましょう。そういう人は、純正律コーラスやブラス・アンサンブル、弦楽合奏の理想的なトレーナーになれます。そういう人に、平均律の音当てクイズの「絶対音感」なんて必要ないのです。蛇足ですが、私の著書『音の後進国日本』に触れさせて頂きます。内容的には純正律の美しさを具体的に説明してあり、付録の巻末8センチCDには平均律と純正律の違いがわかる音を収録してあります。興味のある方は一度耳にしてみてください。
みなさん、「#」「♭」「ナチュラル」の由来は御存知でしょうか。また、なぜドイツ語音名の「B」は半音低い「シ」なのか。そして「ラ」より「ド」の方が圧倒的に偉い(?)はずなのに、「ド」が「A」でないのはなぜか?次回はこういう素朴な疑問をもとに、音階の歴史と謎を探っていきたいと思います。
*******************
〈参考文献〉
◎最相葉月『絶対音感』小学館、1680円
◎玉木宏樹『音の後進国日本』文化創作出版、1575円
前ページ 次ページ
|